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2004.05.26

無法松の一生 1958 東宝

2004年01月13日(火) 
No.107
監督 稲垣浩
製作 田中友幸
原作 岩下俊作
脚色 伊丹万作 / 稲垣浩
撮影 山田一夫
音楽 団伊玖磨
美術 植田寛
録音 西川善男
照明 猪原一郎
配役:
三船敏郎(富島松五郎)
芥川比呂志 (吉岡小太郎)
高峰秀子 (吉岡良子)
笠原健司 (吉岡敏雄)
笠智衆 (結城重蔵)
飯田蝶子 (宇和島屋おとら)
田中春男(俥夫熊吉)

戦時中1943年に阪妻、園井恵子で映画化されたがそのリメイクである。
見事1958年度ベネチア国際映画祭金獅子賞(グランプリ)を獲得してる。


日露戦争大勝利で沸く日本。
松五郎は喧嘩が大好きな人力車引きだ。
敏雄少年の怪我を助けた縁で吉岡夫妻と仲良くなる。
しかし大尉の吉岡がひょんな事からぽっくり死んでしまう。

以来女手一つで敏雄を育てる吉岡夫人だったが、その傍らにはいつも松五郎の姿があった。
松五郎はまだ弱々しい敏雄の父代わりとして、何かに付け面倒を見ていた。
運動会へ連れて行き、敏雄の目の前で勝利宣言をして500m競争を走ったが、そのとき敏雄は初めて人前で声をからして松五郎を応援した。
敏雄にとって一つの転機だった。
敏雄は音楽会では人前で臆せずひとりで歌いきった。

敏雄が中学へ進むと、健康になりワルの友人も出来て、学校同士の出入りに巻き込まれることもあった。
敏雄が怖じ気づいたらかわりに松五郎が一暴れだ。
しかし敏雄も松に何時までも、ぼん、ぼんと呼ばれるのだけは閉口していた。
母は折を見て、松に息子を吉岡さんと呼んでやってくれと頼むが、松は何か他人行儀になって淋しいのだ。

敏雄が熊本の五高へ上がったが、夏休み祇園太鼓の時期に帰省してくる。
松は敏雄の前で、「これが祇園太鼓たい。よう見ちょれ。」と久しぶりに撥を両手に取り、暴れ太鼓を打つ。

しかし、翌晩吉岡夫人と二人きりになったとき、突然吉岡大尉の写真を前にして「私は汚い男です。」と言い、吉岡家を永遠に去る。
愛の告白だった。

晩年の松は酒におぼれる毎日で、最後は心臓だった。
吉岡夫人や知人が形見分けに集まった。
松は吉岡夫人からもらった手間賃は全く手を付けていなかった。
それどころか、吉岡母子の名前で500円もの貯金をしていた。

阪妻・園井恵子を知ってる人が見たら、はたして三船、高峰はどうかなと思う。
また松が愛の告白をするところも、急な展開で前後のつながりがない。

吉岡夫人と別れてからの松の様子は、印象的なカットの連続だ。
この部分が芸術的でありベニスでも受けたのだろうが、今見てみると???

とはいえ、全般的にはエピソードで繋ぎ、派手な台詞も控えめで、それでいて最後はほろりと来る。
高峰の押えた演技が生きている。
車輪の回転のアップにより時間の経過を表現するシーンは、戦前から既にやっていたそうだ。


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