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2004年9月

2004.09.29

ウエスタン 1969 パラマウント(イタリア・アメリカ)

マカロニ・ウェスタンの巨匠セルジオ・レオーネがアメリカで撮った作品。
これ以後マカロニウェスタンも下火になる。

チャールズ・ブロンソン、ヘンリー・フォンダが主演。
ジェイソン・ロバーズ、クラウディア・カルディナーレが共演である。
いつものマカロニウェスタンとはメンバーが違う。
脚本セルジオ・ドナティ、撮影トニーノ・デッリ・コッリ。
音楽はいつものエンニオ・モリコーネ
イタリアで作ってるときよりずいぶんとあか抜けた。


ヘンリー・フォンダが強い悪役で、女にももてる。
クラウディア・カルディナーレの夫が持つ鉄道用地を奪おうと画策している。
そのヘンリーが恐れるなぞのハーモニカ吹きがチャールス・ブロンソン
そして相棒のジェイソン・ロバーズだ。

果たして夫の方は始末し、クラウディアに権利は移った。
ヘンリー・フォンダは、クラウディアをたらし込んで権利を奪おうとする。
土地は競売に出された。
しかし大方の予想は外れて、チャールズ・ブロンソンが落札する。

クラウディア・カルディナーレは若い頃あれだけ綺麗だったのに、1969年にはややトウが立ってしまった。
カラーにすると垂れ目が目立ってしまう。
白黒だとあの垂れ目も可愛いのだが。

小林旭の「渡り鳥」シリーズのような話だ。
「荒野の用心棒」(監督ボブ・ロバートソンはレオーネの偽名)でも「用心棒」をパクったようにセルジオ・レオーネは日本通だったから、やってるんじゃないか。

しかし渡り鳥シリーズも「シェーン」の翻案だから、まあいいか。
それにエースのジョー(宍戸錠)役がヘンリー・フォンダじゃ、あまりに格好良すぎる。

たそがれの東京タワー(1959) 大映

フランク永井「たそがれのテレビ塔」の歌謡中編映画。
仁木多鶴子、小林勝彦主演。
仁木のシンデレラものだ。時代劇の悪役専門の小林勝彦が主演しているとは知らなかった。
見明凡太朗、三宅邦子、市田ひろみ、金田一敦子共演。

仁木多鶴子、金田一敦子の「猫は知っていた」コンビの再登場だ。
また仁木が良い役で金田一が悪役。
金田一の方が遙かに美人だと思うのになぜか。
金田一は数年後に映画界を辞めてしまった。

市田ひろみは今よりも目がよってる感じだった。
それほどの美人ではないが存在感はある人だ。


goo:たそがれの東京タワー

でも東京タワーを舞台に使うのであれば、メグ・ライアン「めぐり逢えたら」ぐらいほどの映画を作って欲しかったな。

カイロの紫のバラ 1985 オリオン/ワーナー

ウディ・アレンの出ない、ウディ・アレン監督作品。
面白くないウディ・アレンの中で、珍しく面白い作品だ。

ミア・ファローは気の弱いウェイトレス、DV亭主ダニー・アイエロは失業中である。
ミア・ファローは映画マニアで、毎晩映画館に通い詰めである。
何度目かの「カイロの紫のバラ」という映画を見ていると、探検家役のジェフ・ダニエルズがスクリーンから飛び出してきた。
彼は何度も映画に来てくれる彼女に愛を告白する。

映画の中の人物がスクリーンから出てきて現実の女性と恋に落ちる、という荒唐無稽な話だ。
しかし映画ファンなら、誰でも考えることだろう。

男に振られたあと、ミア・ファーローが映画スクリーンに没頭していく姿は、誰しも身に覚えがあることだ。
誰しも現実には耐えられず、虚構の世界を必要としているのだ。

かつての名脇役ヴァン・ジョンソンが映画の俳優役で出ていた。
ダイアン・ウィーストが出番は少ないが娼婦役で好演。

2004.09.28

変奏曲 1976 ATG

中平康監督
浅井慎平撮影
五木寛之原作
麻生れい子佐藤亜土主演。
共演は松橋登、二谷英明(写真だけ)。


日本人の人妻(麻生れい子)が夫(二谷英明)の留守中パリで昔の恋人(佐藤亜土)に出会う。
彼は革命家だったが、長い間の逃走生活の間に不能になっていた。

二人は南仏コートダジュールに旅立つ。
彼女は夫の友人(松橋登)と外で立ったままセックスしたり、地元民のセックスを覗き見て楽しむ。
いろいろな体験ののち、旅先での最後の夜、とうとう元恋人と結ばれる。

パリに帰ると、彼には組織の追っ手が掛かった。
彼は捕まり連れ去られた。
もう二度と会えないだろう。


goo:変奏曲

麻生れい子を久しぶりに見た。
彼女はバタ臭い顔つきのファッションモデルだが、ときどき(台詞はボー読みで)役者もやっていた。
昔は週刊プレイボーイや平凡パンチにしょっちゅう出てたんだが、1976年当時でピークは過ぎていた。
だからこそ脱ぎっぷりはよかった。
最近は京都にいるとか。

浅井慎平のキャメラだが、ぼかしが多く、見せ場は少なかったと思う。
のちにタモリ主演の「キッドナップブルース」でも監督・撮影を担当している。

佐藤亜土って人はよく知らないのだが、演劇畑の人かな。
鹿賀丈史に似ている。低音だけどよく通る声で学芸会になりかけた映画をぐいっと引き締めていた。

「月曜日のユカ」「狂った果実」「あいつと私」で知られる中平康監督、晩年の作品だ。
しかし2004年現在、DVDにはなっていない。。
純文学なぞに接近した中平康はあまり好かれていないのか。

池田満州男監督の映画「エーゲ海に捧ぐ」を思い出した。
主役比較なら、俺は麻生れい子を取る。


2004.09.27

夜のいそぎんちゃく 1970 ダイニチ映配(大映)

ド派手な超美人、渥美マリ主演の軟体動物シリーズ第四弾。
今回、渥美マリの魅力に溺れるのは重鎮・千秋実
ウルトラマンタロウ篠田三郎
大映の脇役陣金子研三酒井修の四人。
弓削太郎監督作品。

適当に撮っているため、映画の作りがちゃちだし、肝心のお色気も少なかった。

しかし渥美マリの演技力を再認識した。
本人は演技で勝負したかったと思う。
大映が傾いて日活と提携をする時代だけに、会社としては脱いでもらわないと困る。
それで悩んでいたのではないか?
もう少し遅く出てくれば、日活ロマンポルノで性格女優になれただろう。

歌手の役であるため、歌うシーンもふんだんに取り入れている。
シャンソン・フォーク系のようだ。
レコードも出している。
歌唱力は同世代歌手では、ぶりっこ小川知子や、お色気熱唱の辺見マリにはかなわない。
しかし「オー!モーレツ」の小川ローザには圧勝している。

千秋実はキリスト教の牧師の座を捨ててまで渥美マリにつくし、最後に捨てられる。
あの教会はどこなんだろう。
よく撮影を許可したなあ。

goo:夜のいそぎんちゃく

渥美マリのデビュー作は「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」(1968)
ケバイお姉ちゃんに僕ら子供たちは胸をどきどきさせたものだ。
それから二年間で、さらによく育ったものだ(笑)


ところがそのまた二年後、岡崎友紀、純アリスのTBS「ママはライバル」(父親は高橋悦史)に出演していた。
僕らは渥美マリの映画でのイソギンチャクぶりを知らずにテレビを見ていた。
この落差が渥美マリの魅力か。


兵六夢物語 1943 東宝

榎本健一主演の時代劇コメディ。
オペレッタ風で、エノケンとともに高峰秀子霧立のぼるが歌い踊る。
黒川弥太郎共演。


薩摩藩の下級武士である大石兵六(榎本健一)はへまをして仲間に干される。
さらに母親に夜のお使いを言いつかった兵六は、夜道で狐に騙される。


Jmdb:兵六夢物語

主演の榎本健一はいいとして、高峰秀子、霧立のぼるはちょっとしか出番がなかった。
その点が少々物足りなかった。

円谷英二が特殊技術担当。

2004.09.26

西便制 風の丘を越えて 1993 韓国

名作だ。
監督は、その後カンヌ映画祭で監督賞を受賞しているイム・グォンテク

韓国の伝統芸能パンソリに賭ける父娘の物語。

ドンホはある村で未亡人と愛し合い旅に出るが、やがて未亡人は死に、あとに彼女の養女と息子が残される。
ドンホは血の繋がらない養女ソンファと彼女の息子ユボンに、パンソリを厳しく指導する。
しかし戦後の解放で洋楽が韓国でも流行し、ユボンはドンホに歯向かい、家を出る。
ドンホとソンファは旅を続けるが、栄養失調と薬の副作用でソンファの視力は失われる。
それでもドンホは、ソンファに対する厳しい指導を続けた。
韓国の民族感情「恨」を乗り越えることができたとき、ドンホの望む歌を彼女は歌える。
父の死後、娘は酒場で歌い続けるが、「恨」を越えることはできない。
成長したユボンが、突然彼女の前に現れる。

ラストのパンソリは、たしかに感動した。
本物である。
日本の浄瑠璃と似ている。
ただし日本より遙かにリズム感がよい。

10年前に韓国で大ヒットしたというのは信じられない。
地味な映画である。
日本で言えば、たとえば10年前に「伊豆の踊子」がヒットするのか?
あるいは「春琴抄」がヒットするのか?
おそらく上海映画祭で賞を獲って、注目が集まったのであろう。
主役の呉貞孩をまねて一重まぶたが流行ったというのは、本当かな?


2004.09.24

ジャンヌ・ダルク 1999 フランス

監督 :リュック・ベッソン
製作 :パトリス・ルドゥ
脚本 :リュック・ベッソン,アンドリュー・バーキン
出演ミラ・ジョヴォヴィッチジョン・マルコヴィッチフェイ・ダナウェイダスティン・ホフマン、パスカル・グレゴリ、ヴァンサン・カッセル

シャルル7世はランスの大聖堂で戴冠式を行いたい。
しかし時代は百年戦争の真っ最中で、ランスはイギリス軍の占領下にあった。
ジャンヌ・ダルクは神の声を聞き、王との面会を求める。
王はジャンヌ・ダルクの気高さにうたれ、オルレアンの戦いを任せる。
ジャンヌは難攻不落のオルレアンの要塞を打ち破った。
フランスの救世主になったジャンヌだが、既に転落の道が始まっていた。
シャルル7世はもう戦う気はなく、好戦派のジャンヌは邪魔者。
パリ解放へ兵をすすめたジャンヌだが、イギリスと親しいブルゴーニュ公に捕まり、異端裁判を受けることになる。

日本テレビがズタズタにカットしているが、そうでなくてもリュック・ベッソンに大河ドラマは無理だ。
物語はジャンヌの一代記になっている。
サイレントの「裁かれるジャンヌ」と比べて、焦点がぼけている。
平板で盛り上がりに欠ける。

ジャンヌは戦場のアイドル的存在だったのだろう。
実際に男勝りの活躍をしたわけではなさそうだ。

しかし、彼女はキリスト教信仰のために戦う女性の原型だ。

愛しのタチアナ(1994) フィンランド

監督・脚本 アキ・カウリスマキ 
共同脚本 サッケ・ヤルベンパー
出演 カティ・オウティネン(浮雲)、マッティ・ペロンパー(レニングラードカウボーイズ・ゴーアメリカ)、
キルシ・テュッキュライネン、マト・ヴァルトネン

60年代のお話とのことだが、今でもありそうだ。

仕立屋の息子ヴァルトは、40歳を過ぎても独身だ。
ロックンローラーのように、バリバリにポマードで決めているが、シャイで女性とは口がきけない。
同じく40過ぎで、もてない車の修理工レイノと自動車で旅に出る。
エストニア人タチアナとカザフスタン人クラウディアの女性二人組を拾った。
しかし女性にもてない二人は、彼女らとなかなか会話を盛り上げられない。

刺激の多い映画に慣れていると、アキ・カウリスマキ作品はどこが面白いのかわからない。

しかしこの作品は、他のどの作品よりも面白かった。
間がよかったのだと思う。
次作「浮き雲」では、その間がやや誇張されてしまい、間延びしている。

カティ・オウティネンは「浮き雲」で見たときは大した美人だと思わなかった。
この映画で、はじめて美人に見えた。

40過ぎて女にもてない、というのは昔より今の方が深刻な話題である。
日本で言えば秋葉系の将来を描いている。

しかし何も喋らなくても、男と女は気さえ合えば、勝手に仲良くなるものだ。
まず緊張を解くことですよ。

2004.09.23

みんな元気 1990 イタリア・フランス

ジュゼッペ・トルナトーレ監督がお送りする、イタリア版「東京物語」だ。


シチリアに住むマッテオ(マルチェロ・マストロヤンニ)は、いつもの夏ならば子供たちが帰郷するのに、今年は寂しい思いをしている。
そこで思い切って、都会の子供たちを訪れることにした。

ナポリ大学のアルヴァーロ(サルヴァトーレ・トト・カシオ)は留守だった。
何度連絡しても留守電になっている。

ローマでは議員秘書をしているカニオ(マリーノ・チェンナ)が迎えてくれた。
マッテオは、いつかカニオが議員になることを夢見ている。

フィレンツェで泥棒に襲われカメラを潰されるが、娘トスカ(ヴァレリア・カヴァーリ)が警察まで迎えに来てくれる。
トスカは、ファッションモデルをやっていた。
独身なのに家には子供がいた。

ミラノに行くと、オーケストラの打楽器奏者グリエルモ(ロベルト・ノビル)の顔色は冴えない。
孫に理由を尋ねると、家庭がうまくいっていないと言う。

最後はトリノのノルマ(ノルマ・マルテッリ)。
電話会社の重役だという話だが、実は単なるオペレーターである。

マッテオは再びローマに行き、子供たちを呼ぶ。

子供が不幸になったのは、父親(マストロヤンニ)に責任が有ると言う人がいる。
父親の世界観が、子供たちを不幸にしたのだろうか。
父親は、一生を役場の戸籍係で通した人だ。
閉鎖された島にいて、彼は自分はもっとできた、やればできた、と思っていた。
すなわち劣等感が強かった。
したがって子供たちに過度の期待を抱いてしまう。
それが子供たちを、スポイルしたというわけだ。

しかし子供が不幸になったのだとしたら、すべて運命である。
父親からの影響は生まれたときから刷り込まれている。
運命を変えたければ、自分でもがくしかない。
問題は若い頃、人が自分の運命を悟ってないことだ。

父親には、どの子も不幸に見えるのだが、子供たち自身は人生を楽しんでいるのかも知れぬ。
今は多少沈んでいるが、明日はあるさ。
自殺した息子を除いては。

「東京物語」で小津安二郎は、原節子という客観(あるいは視聴者の目)を持ってきた。
一方、トルナトーレは、父親の主観にこだわった描き方をした。
観客は父親の主観にこだわる見方も当然できるし、あえて視線をずらして第三者の目で楽しむこともできよう。

音楽のエンニオ・モリコーネが指揮者役で出演している。

2004.09.21

欲(1958) 松竹

森繁久彌の数少ない松竹出演作。

監督:五所平之助
原作:尾崎士郎
脚色:猪俣勝人、長谷部慶次
出演: 伴淳三郎轟夕起子、富士真奈美、森繁久彌三國連太郎、渡辺文雄、須賀不二男、千田是也、水原真知子、関千恵子、横山エンタツ

金玉の話だ(笑)
伴淳三郎は不老不死の薬の開発をしている。
問題は原料すなわち金玉だ。
一儲けするために欲の皮が突っ張った轟夕起子、森繁久弥、三国連太郎が金玉集めにかけずり回る。


森繁久弥(インチキ社長)と若い渡辺文雄(新聞記者)の絡みを楽しみにしていたが、あまり見せ場はなかった。
しかし森繁と三国連太郎(街の写真屋)の絡みはたっぷりだ。
富士真奈美(博士の娘)は若い頃から既に富士真奈美だったようだ。
化粧を濃くしたら、今の顔になる。

2004.09.20

映画の真実 佐藤忠男 中公新書

黒澤作品とアジア映画中心に紹介している。
映画論ではなく、映画を通した認識・歴史・社会論である。

映画のリアリティとは何だ?
美化された結果ではないのか?
しかし美化も真実なのだという。

羅生門」は、客観の不存在を描いている。
そして主観は、それぞれの自尊心の反映である。

歴史観は、映画はどうゆがめたか?
七人の侍」と「郡上一揆」を取り上げる。
江戸時代には、百姓は強い自治能力を持っていた。
したがって「郡上一揆」こそが、”正しい”映画である。

近代のヤクザ映画は、江戸時代には現実だった。
民衆は自治を行っていたのである。
侍は人数で負けているから、それに口出しはできなかったのだ。
その封建体制を明治維新が崩したため、そういう部分は歴史の闇に隠れてしまう。
そこでヤクザの名を借りて、「江戸時代の庶民」映画を作っているのである。

他にインドの恋愛映画、反グローバリズムのイラン映画、日中反戦映画、映画による国際理解、ドキュメンタリー論などを話題にする。

佐藤忠男は、日本映画学校の校長。
この先生は、文章は難解だが、ほんとうによくご存知だ。
NHKで難しそうな顔をしてるところしか見たことがないので、怖い先生だと思う。
是非、アジア映画評論の後継者を育ててもらいたい。

最後に武士道について。
黒沢映画「生きる」の主人公・渡邊課長こそ真のサムライである。
癌であと半年とわかった日から生き甲斐を探し、公園作りに命を賭ける。
そしてブランコに乗って死んでいく姿こそ、武士道である。
武士道とは、死ぬことと見つけたり。
まさに我が意を得たり。

春にして君を想う(1991) アイスランド ドイツ ノルウェー

フィヨルドと温泉と漁師の国アイスランドの世界的巨匠フリドリック・トール・フリドリクソン監督・脚本作品。
出演:ギスリ・ハルドルソン、シグリドゥル・ハーガリン、ブルーノ・ガンツ

レイキャビクの老人ホームに入れられた男は、そこでかつての恋人に出会う。
彼は昔、故郷を捨て彼女を捨てて一人で都会に出たのだ。
その故郷もいまや過疎で、無人村になってしまった。
彼女は老人ホームに幻滅し、死ぬ前に一度で良いから故郷に帰りたいという。
彼はジープを盗み、彼女を老人ホームから連れ出す。
途中、友人と出会ったり車が壊れたりした。
そして、とうとう生まれ故郷にたどり着く。
彼は空き家で休み、彼女は久々の海辺を散策する。
しかし彼女はいつまで経っても帰ってこない。



老人のロードムービーだ。
幻想的な映像に仕上げている点が特徴。
いかにも北欧のどんよりした空だ。
音楽も教会音楽中心で心地よい。

今なら日本でもよくある主題だが、91年当時の日本ではまだバブルに浮かれていて、こういう映画はまだまだだった。
世界第二の長寿国アイスランドでは一足先に今の日本の状態に進んでいたようだ。
他のヨーロッパ諸国も、アイスランドの当時の状態を他人事とは思わなかったのだろう。
ドイツとノルウェーが出資している。
福祉国家はどこも老齢化が早い。

おじいさん役のギスリ・ハルドルソンは大してうまくないと思う。
こういう役をやらせたら、三国連太郎の右に出るものはいない。
おばあちゃん役シグリドゥル・ハーガリンの方がうまくて綺麗だった。
ブルーノ・ガンツが得意の天使役でちょこっと出演。

お気に入りアイスランド映画
アイスランド:『ウィキペディア 』

2004.09.19

世にも怪奇な物語(1967) フランス・イタリア

エドガー・アラン・ポー原作の三話オムニバス映画。

第一作、ロジェ・バディム監督、ジェーン・フォンダ、ピーター・フォンダ、アニー・デュプレ出演。
伯爵夫人ジェーン・フォンダは自分に振り向いてくれなかった男爵ピーター・フォンダの厩を燃やしてしまう。
ピーターは愛馬と運命をともにしてしまった。
すると彼の生まれ変わりのような馬が、伯爵夫人邸に紛れ込む。

第二話。ルイ・マル監督、アラン・ドロン、ブリジット・バルドー出演。
ドッペルゲンガーに苦しめられ、医学部も辞めたアラン・ドロンは軍隊に入り、平和な街に赴任した。
そこで黒衣の夫人に侮辱され、カードの勝負をする。
アラン・ドロンはいかさまで逆転勝ちするが・・・

第三話。フェデリコ・フェリーニ監督、テレンス・スタンプ主演。
イタリアの映画祭に呼ばれたイギリスの映画スター・テレンス・スタンプには、なぜかいるはずのない女の子が見える。

どれも怖さはなかった。
エドガー・アラン・ポーの世界とは今になってみればこんなものだろう。

第一話はエロエロである。
当時の貴族の乱交パーティー・シーンばかりだし、ロジェ・バディムが嫁さんのジェーン・フォンダを美しく撮ることだけを考えて作ってる。
ジェーン・フォンダの素顔は美人だと思わないんだけど、映画の中じゃ色気があって、ぐっと来ちゃうのだ(笑)

二作目はアラン・ドロン映画になってる。
BBが綺麗に撮れていない。

最後の作品はフェリーニが「ポルターガイスト」を撮っていたらどうだっただろう、と考えさせられた。
「コレクター」テレンス・スタンプも若い頃は同性愛を売りにしていたのか?

2004.09.18

暗黒街のふたり(1973)フランス・イタリア

アラン・ドロン製作主演、ジョゼ・ジョバンニ監督脚本。
テレビでしょっちゅうやってる名作だ。
原題は「街の中の二人」---フランス映画は当時フィルムノワールが多かったから、街に「暗黒」をつけたのか。

10年の服役を追えた男が出所後も刑事にしつこく追われて、ぶち切れ、その刑事を殺してしまう。
最後は弁護士や保護司の努力むなしく、死刑になる悲劇だ。

アラン・ドロンは当然、死刑になる犯人役である。
ジャン・ギャバンが保護司役で、狂言回しを演じる。
死刑囚アラン・ドロンが刑場に引き立てられるとき、ジャン・ギャバンに向かって「怖いよ」とささやく。
そのときの二人の名優の表情が印象的だった。

金髪美人のミムジー・ファーマー(「モア」)がドロンの二人目の恋人役で出演している。
刑事が彼女にドロンの過去をばらしたことから、彼がぶち切れる原因になった。
ミムジーはアメリカ人女優だが、華奢なタイプでヨーロッパで成功した。
アラン・ドロンの好みのタイプでもある。

一人目の恋人役イラリア・オッキーニロミー・シュナイダー似でドロンの好みだった。
二枚目もドロンほどになると、相手役を選んでもらえるのか。

ジェラール・ドパルデュもちょい役で出演している。
いわばフランスの大スター三代そろい踏みだ。
他にはミシェル・ブーケが憎々しい刑事役で出演。



2004.09.17

パピヨン(1973) フランス

不屈のスティーブ・マックイーンが四方を海に囲まれた孤島から脱走を図る!
主演スティーブ・マックイーン、ダスティン・ホフマン、ロバート・デマン


1930年頃、蝶の入れ墨を胸に入れたパピヨン(スティーブ・マックイーン)が収監され仏領ギアナに送られる。
偽国債作りのドガ(ダスティン・ホフマン)もいた。
やがてパピヨンは暴れた罪で二年間の独房送りになり、虫を食う惨めな生活を強要される。
独房から出たパピヨンは、医者から逃亡のための船を調達するが、その船は底が抜けていた。
それでも彼らは筏を拵え、ライ病の島に着く。
そこで本格的な船を手に入れ、ホンジュラスへたどりつく。
そこでも現地警察に追われ、危ないところをインディオに救われる。

実話だと言うことだが、かなり脚色しているはずだ。
原作者アンリ・シャリエールは当の脱走者だが、独房には入ってないそうだ。
実話云々より映画として、マックイーンの生への執着に感動させられた。
「大脱走」とはまた違う魅力だ。
とくにラストでダスティンと抱き合うシーンが印象的。

優柔不断のダスティン・ホフマンも観客は自分とダブって見えただろう。
足の不自由な男を演じた「真夜中のカーボーイ」とも重なる。
でも「パピヨン」の方が後味さわやかだ。

フランス製作だが、アメリカ人俳優とアメリカ人スタッフを使って作った映画。
監督は「パットン大戦車軍団」のフランクリン・J・シャフナー
脚本はダルトン・トランボ、赤刈りでハリウッドを追放されている。
音楽はジェリー・ゴールドスミス、「オーメン」が音楽史上に残る名曲だが「パピヨン」も親しみやすい傑作だ。
よく考えたらユダヤ人だらけだ。そういえば世界史でおなじみのドレフュス事件のドレフュスが悪魔島で座ったという、岩の椅子が出てきた。

夢の中での裁判シーン、「俺は無実だ」「しかし人生を無駄にした罪は有罪だ。」というところは、ぐさっと来た。

2004.09.16

ボーリング・フォー・コロンバイン 2002 カナダ

突撃レポーター・マイケル・ムーア監督がお送りする、コロンバイン高校乱射事件を真正面から捉えたドキュメンタリー。
カンヌ映画祭審査委員長デビッド・リンチにより、カンヌ国際映画祭55周年記念特別賞を授けられている。
しかしマイケル・ムーアのやり方に、多少矛盾も感じた。


映画は銃社会の悲劇を描く。
テレビもショッキングな場面ばかり放送して、憎しみや不安をあおってばかり。
NRAはそういう事件が起きるたびに、銃反対運動を押さえ込んでしまう。
あのチャールトン・ヘストンが乗り込んできて、銃万歳と盛り上げていく。
NRAの裏にはKKKのような極右団体が付いている。

マイケル・ムーアと西部劇のスターチャールトン・ヘストンのインタビューシーンでは、ヘストンがとぼけた演技をして、ムーアは全く相手にされない。

カナダはアメリカと同じように狩りの習慣があるが、銃による犯罪率は低い。
銃の所有率が高いことと銃犯罪率が高いことは、直接関係ない。
アメリカの倫理観がかなり低いのだ。

しかし日本もキチガイに刃物を持たせるんだから、偉そうなことは言えない。

2004.09.15

クリクリのいた夏(1999) フランス

ジャン・ベッケル監督作品。
「奇人たちの晩餐会」のジャック・ヴィルレ、「カンゾー先生」のジャック・ギャンブラン、「Mr.レディMr.マダム」のミシェル・セロー、「視線のエロス」のイザベル・カレーといった個性的な面々でなぜかお子様向け映画を作ってしまった。

1930年代、ガリス(ジャック・ギャンブラン)は復員して沼地に居つく。
隣人リトン(ジャック・ヴィルレ)は、後妻をもらいクリクリら子供たちと一緒に暮らしていた。
リトンは酒場で昼間から酔い、ボクサーと喧嘩してしまい、ボクサーの将来を台無しにしてしまう。
ボクサーは刑務所に入れられるが、リトンのことを恨んでいて、出所したら殺してやろうと思っている。
ガリスとリトンは、ある金持ちの家でマリー(イザベル・カレー)と出会う。
ガリスは彼女に一目惚れをしてしまった。

自然が美しく、沼地でその日暮らしをする人々を描くが、全然嫌みではない。
さわやかですらある。

出演するメンツが凄い。
とくに美しいイザベル・カレーが「私は身持ちが堅いのよ。」には笑ってしまった。

2004.09.13

花嫁の父(1950)MGM

ビンセント・ミネリ監督
スペンサー・トレイシー、エリザベス・テイラー主演の結婚コメディ。

スペンサー・トレイシーは有名弁護士事務所のパートナー。
妻のジョーン・ベネットと二男一女に恵まれ、幸せな毎日を送っていた。
娘のエリザベス・テーラーが結婚したいと言い出すまでは。

娘の彼氏ドン・テイラーは実業家であり、ケチのつけようのない好青年だった。
両親は相手の両親に挨拶に行くが、彼らともすっかりうち解ける。

婚約が整えば、今度は結婚式の相談だ。
父はこじんまりした式がよかった。
しかし母は、世間体を考えて、盛大な式を行うつもりである。

いろいろあったが、結婚式の日にこぎ着けた。
父は娘の部屋に迎えに行く。
扉を開けた途端、父は目を奪われた。
そこには、ウェディングドレス姿のリズが立っていた。

スペンサー・トレイシー主演の「招かれざる客」(1967)を先に見ていたため、こちらは大したことはないとタカをくくっていた。
どうしてどうして。なかなか古典的な「笑い」が面白かった。

妻がキャサリーン・ヘップバーンではない点がどうかと思った。
しかし、この役は無声映画からの大女優ジョーン・ベネットにはできても、ヘップバーンにはできまい。
ヘップバーンが出てくると「花嫁の父」ならぬ「花嫁の両親」になってしまう。

エリザベス・テイラーは序盤何かもっさりしていて冴えない。
あまり可愛くない。
しかし最後のウェディングドレス姿は圧巻。
完全にノックアウトされた。
やはりリズはこうでなくっちゃ。

ドン・テイラーはいつも二枚目で線が細い役ばかりやってた気がするが、
のちに監督に転身して、「オーメン2」や「ファイナル・カウントダウン」などの作品を残している。

私のお薦めは、レオ・G・キャロルだ。
外国語訛りでヨーロッパの高級感漂わせる、ブライドコーディネイターだが、ほんとうは訛ってなんかいないと言う役どころ。


2004.09.12

ザ・シークレットサービス 1993 コロンビア

ウォルフガング・ペーターゼンの製作総指揮、監督作品。
クリント・イーストウッドが最近お得意の老人ネタで大活躍。


クリントはかつてケネディのSPとして大統領を暗殺されたトラウマを抱いている。
今回も彼のもとに、暗殺者ジョン・マルコヴィッチから電話が掛かってきたときから事態は急転する。
SPの同僚にレネ・ルッソ


「許されざる者」に続く、傷ついたベテランの再生映画だ。
しかしこれは大した映画と思えない。
やはりクリント・イーストウッドはいつまでも「ダーティー・ハリー」でなくっちゃ。

フジテレビが何度か放送してたようだが、今回はテレ朝が権利を買ったようだ。
個人的には、ジョン・マルコヴィッチが生理的に合わない。


女の一生(1962) 大映

布引けいの「女の一生」。
文学座杉村春子の当たり狂言に京マチ子が挑戦、
監督増村保造、原作森本薫、脚色八住利雄。
出演:京マチ子、高橋昌也、田宮二郎、叶順子、東山千栄子、小沢栄太郎


日露戦争が終った日、養親に家を追い出された布引けい(京マチ子)は東山千栄子に拾われ、堤洋行の奉公人となる。
頭の良い彼女は、次第に商才を表した。
彼女は次男の田宮二郎と好き合っていた。
しかぢ母東山千栄子は自由主義者の田宮を嫌い、けいと長男の高橋昌也を結婚させてしまう。
彼女も堤家そして堤洋行を守ることに一生を捧げようと誓う。

結婚して10年。田宮二郎はシナに渡り、けいは堤洋行の仕事にのめり込んでいた。
高橋昌也と娘はけいに放り出されて、ふてくされている。

さらに20年後、日本は泥沼の日中戦争に突入していた。
けいは堤洋行のため軍部に近づいた。
田宮二郎が久しぶりに内地へ帰ってくる。
彼は中国人と通じていて憲兵に追われていた。
けいは堤洋行を守るため、田宮を憲兵に売るのだった。


goo:女の一生

何とも言えない作品だった。
ただ淡々と40年の時間が過ぎていく。
でも思ったより京マチ子は好演しているのかも知れない。
演出も舞台劇ほどしつこくない。


次のサイトによると舞台の女の一生には2パターンあるそうだ。
最初のは戦前に上演したため、最後のシーンが戦中の勇ましい頃の日本だ。
もう一つは戦後に上演したもの。
ラストは有名な空襲後のシーンである。
もちろんこの映画は後者に近い。

『女の一生』をくぐるためのメモ

2004.09.10

ある殺し屋(1967) 大映

大映フィルムノワールの傑作である。
藤原審爾原作。
森一生監督、
増村保造、石松愛弘共同脚本。


市川雷蔵はしがない飲み屋の親父。
しかしそれは世を忍ぶ仮の姿で、正体は必殺仕事人顔負けの殺し屋だった。
土建会社幹部成田三樹夫は彼に、暴力団組長を始末してもらいたいと、依頼する。
市川雷蔵は一度は断るのだが、社長の小池朝雄自ら口説かれると、仕方なく引き受けた。
雷蔵はパーティーに芸人として乗り込み、無難に仕事をこなし報酬を手に入れる。
成田は雷蔵の手にした巨額の金に目がくらみ、野川由美子とともに横取りを企む。

最初の事件のシーケンスと次の事件のシーケンスをパラレルに見せるところがフランス映画っぽかった。
アラン・ドロン主演「サムライ」(武士道を重んずる殺し屋の話)と同年公開も何か関係があるのか。
上映時間が短いのは、何か他の映画の併映だったんだろうな。
ご都合主義の塊のようなお手軽映画だが、それでも力が入ってない分、面白い。

goo:ある殺し屋

日テレ系の昼の映画で何度も見ているが、今回のビデオは画像が綺麗で見違えた。
野川由美子って、美人だったんだな。
顔のパーツが大きいのはわかっていたが、若い頃は実に美しい。歯並びは悪い。
成田三樹夫の坊ちゃん刈りもキュートだ(笑)。
市川雷蔵に「若いなあ」と言われるところが印象深い。

しかし今回見て初めて気づいたことがある。
小林幸子が女中役で出ているのだな。
今と変わらない、歌手の演技だった。(つまり大げさだ。)

2004.09.09

Alien3 1992 20cFox

デビッド・フィンチャー監督が、見せ場も何もない駄作を作った。

日本的なホラーでの水の使い方と比較すると、洋画の水の使い方は下手だ。
単にエイリアンが汗をかいているようにしか見えない。
もっとドロッとした液体という感じを出さなければダメね。


男臭い映画で、監督の「趣味」が出ている。
英国の大御所ピート・ポスルウェイトがちょい役で出ていた。

しかし男の配役は似たような顔ばかりで、わかりにくい。
さらに、この映画では、ともに戦う一体感を演出できなかった。


あえて言えば、シガニー・ウィーヴァーの坊主頭が好きな人向けではないか。



ラ・マンチャの男 1972 ユナイト&イタリア

1965年以来ブロードウェイでロングランを重ねていたミュージカルを、テレビ出身のアーサー・ヒラー(製作・監督)が映画化。

時代遅れの騎士をモデルにした劇中劇による、宗教改革のお話だ。
当時すでに、このようなミュージカル映画自体が時代遅れで、ものの見事に失敗した。

脚本:デイル・ワッサーマン(舞台と同じ)
出演:
ピーター・オトゥール
ソフィア・ローレン
ジェームズ・ココ


スペインもルネッサンスの嵐が吹こうとしていた。
セルバンテスは教会に反抗した罪で逮捕される。
彼は、牢獄内で著書「ドンキホーテ」のことを尋ねられた。

ドンキホーテは金持ちの老人である。
彼はすっかりぼけてしまい、自分を騎士だと思い込んでいる。
彼は従者のサンチョと旅に出るが、風車を怪物だと思って、槍を突き立てる。

ドンキホーテは飯炊き女のアルドンサと出会った。
しかし彼は、彼女が貴婦人ドルシネアだ、と言って聞かない。

映画の失敗は単に時代のせいだけではなく、監督の責任も大きい。
舞台ならピーター・オトゥールの老人メイクも遠目に見られるが、映画だとアップが嘘っぽい。
1933年上映、世紀のバス歌手シャリアピン主演の「ドンキホーテ」の方が、何倍も素晴らしかった。

そんな詰まらない「ラ・マンチャの男」でも、最後にドンキホーテが病床で歌う「見果てぬ夢」は、なぜかぼろぼろと泣けてしまう。

アルドンサ役のソフィア・ローレンが名演だ。
主役風を吹かすことなく、他の俳優とバランスを取っていた。
イタリア映画でマルチェロ・マストロヤンニと共演したときとは大違いだ。
歌は吹き替えだろうか。

日本では松本幸四郎の舞台「ラマンチャの男」が有名。
2002年、ついに娘の松たか子が(それまではアントニアの役だったが)アルドンサを演じた。


2004.09.07

ドン・キホーテ 1933 フランス

監督:G・W・パプスト(「パンドラの筺」「三文オペラ」)
出演:フョードル・シャリアピン(露)、ドルヴィル
原作:セルバンテス
音楽:ジャック・イベール(管弦楽組曲「寄港地」で有名)

ドンキホーテ・デ・ラマンチャはかつて裕福な地主だったが、今や全財産を騎士物語の本に変えてしまった、ぼけ老人。
いい年をして、騎士とお姫様のロマンスに身を焦がしている。
彼は召使いサンチョ・パンサを従者に引き連れ、さすらいの旅に出る。
ドンキホーテは羊の群れを巨人の群れだと思いこみ襲ったり、護送される囚人たちを解放したりと大暴れする。
領主の公爵は事情を聞いて、一計を案じた。

戦争前にこれほどの「ドンキホーテ」をフランスが作ってたとは・・・さすが映画王国だ。

シャリアピンを初めて映像で見たが、やはり当代一の歌手だ。
もっと太めの人かと思ったが、均整の取れた体格で大柄な人。
絵になる男だ。
さぞ舞台映えしたと思われる。
ロシア人だがフランス語の歌詞も難なくこなしている。
バスと言いつつ、それほど声域は低くない。

また彼が五曲歌っているのが、イベールの歌曲だ。
イベールの歌曲CDって持ってないが、これがなかなか良い。
この映画はNHKで放送されたあと、反響が大きくて、IVCからDVD化されるらしい。
クラシックファンは堪えられない作品だ。

ちなみにシャリアピンステーキはシャリアピンが生前来日し、帝国ホテルに泊まったとき、腹づつみを打った料理。
料理長の特製だったが、のちに日本中に広まった。

2004.09.06

ティン・カップ 1996 ワーナー

ゴルフ映画。
ケビン・コスナー、レネ・ルッソ、ドン・ジョンソン、チチ・マリン出演。
監督はロン・シェルトン、スポーツ映画専門の人だ。
製作総指揮はアーノン・ミルチャン。


レッスンプロのケビン・コスナーの元へ、セラピスト・レネ・ルッソが個人教授を受けにやって来る。
コスナーは美しいレネに、すっかり参ってしまう。
彼女は彼の大学以来のライバルで、現役プロゴルファー・ドン・ジョンソンの恋人だった。
コスナーはドン・ジョンソンと対決するため、全米オープンに挑戦する。

珍しいゴルフネタだったが、2時間10分はかなり長い。
しかも、最後のひとひねりしか、内容もない。

ドン・ジョンソンも本編(映画)になると、この程度の悪役で満足している。
格好悪すぎる。

アメリカじゃ、セラピストが独立して仕事しても構わない。
日本も真似すればいいのに。厚生労働省は医者を優遇しすぎている。


2004.09.05

ああ結婚 1964 イタリア

カルロ・ポンティ製作、ビットリオ・デシーカ監督の辛口ラブコメディ。
出演はソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニの黄金コンビである。
モスクワ映画祭主演女優賞獲得。
 
マルチェロ・マストロヤンニは財産家の息子。
娼婦のソフィア・ローレンを請け出し、店を任せるが、結婚はしない。
ある日ソフィアが、店で倒れる。
マストロヤンニはこの世の名残に彼女と結婚するが、実はソフィアの狂言だった。
怒ったマストロヤンニは彼女と別れるが、別れ際に彼女は彼との間に一人子供がいると打ち明ける。
それを聞いてマストロヤンニは落ち着かない。

イタリアものにしては暗いお話だが、最後はハッピイエンドだ。
話は途中からマストロヤンニの子供探しになる。
ソフィアが産んだ子供は三人いる。
その中の誰かが息子なのだが、次第にどの子も可愛くなり、みなを養子に迎える。
男(子供ができた途端によりが戻る)と女(結局、はじめから愛している。)のことはわからないが、こんなものなんだろうねえ。

2004.09.04

バイオハザード 2002 英国ほか

ミラ・ジョボビッチの魅力にオンブでダッコの、SFホラーアクション映画。
英国、フランス、ドイツ、アメリカが出資している。
しかし影のプロデューサーは、ゲームメーカーのセガだ。
原題は"Resident Evil."
いわゆるゾンビものだ。

途中まで押さえ気味だった、主演ミラ・ジョボビッチが突然暴走し始めて、大笑いしてしまう。
最後は裸で大暴れ。
監督は、どう見てもゲーマーにしか見えないポール・アンダーソン

どうしてミラは、こんな作品で裸になるんだろうか?
いったいギャラはいくらだったのだろうか?
綺麗なのに、何故ボンドガールの声は掛からないのかな。

赤裸々な事実 1957 英国

有名人のスキャンダルを脅迫するデニス・プライス
コメディアン・ピーター・セラーズは、そんなデニスの標的にされた。
ピーターはデニスを殺そうと決意する。
しかし貧乏貴族テリー・トーマスとミステリ作家ペギー・マウントもデニスに脅され、彼を殺そうとしていた。

英国得意のブラック・コメディだ。
まあ面白かった。

ピーター・セラーズが得意の変装芸を披露している。
ペギー・マウントの役はドロシー・セイヤーズだろうか?
他にアガサ・クリスティそっくりさんが出てきた。

監督製作はオードリー・ヘップバーンのデビュー作「天国の笑い声」を演出したマリオ・ザンピ

2004.09.03

タイタンズを忘れない 2000 ディズニー

プロデューサー・ジェリー・ブラックハイマーのチームで作った映画である。
アメフト映画であり、白人と黒人の対立と融和を描いている。
泣けるシーンもふんだんにある。

ただ、きれい事になっている。
実話の映画化だが、脚色しすぎているのだ。
ディズニーのおとぎ話を見ているみたいだ。
もう少し映画らしくない映画にして欲しい。


ヴァージニア州では人種差別撤廃政策のため、白人高校と黒人高校が統合される。
合併した高校のアメフト部ではデンゼル・ワシントンがヘッドコーチに、白人のウィル・パットンが守備コーチになり、肌の色の違う選手たちを猛特訓する。
選手たちは、とまどいを隠せない。
そこへ差別意識の薄いカリフォルニア州から白人クォーターバックが転校してきて、事態は一変する。
選手たちがまとまり始めて、彼らは州大会を勝ち進んた。
しかし白人のアメフト関係者たちはウィル・パットンを「試合に負けたらヘッドコーチにしてやる」と唆す。

デンゼル・ワシントン以外、俳優の人件費はほとんど掛かっていないのではないか?
だからといって出演者の演技が下手というわけではない。
金を掛けずに、しっかりと作っている。
監督はボアズ・イェーキン、脚本はグレゴリー・アレン・ハワードだそうだが、どちらも聞いたことがない。

さすが名プロデューサーだ。
利益率の高い商品に仕上げている。
デートでしくじりたくなければ、ジェリー・ブラックハイマー映画を見に行きなさい。

2004.09.02

コレクター 1997 米国

ウィリアム・ワイラーの名作を、製作デビッド・ブラウンが詰まらない映画に焼き直した。
監督はゲイリー・フレダー、主演モーガン・フリーマン


アシュレー・ジャッドは、連続誘拐犯人にコレクトされちゃうが、あわやのところで逃げ出す。
彼女は医者なのでけなげにも記者会見を受けて、ついに犯人のアジトを発見する。
犯人は逃亡した。
ところが警察が保護しているはずのアシュレー・ジャッドに魔の手が襲いかかる。


最近のこの手の映画はワンパターン。
結果が見えている。

アシュレー・ジャッドはこの時代がピークだ。

アルジェの戦い 1966 アルジェリア・イタリア

1966年度ベネチア映画祭グランプリ
いまだにモノクロである。

1954年の仏領アルジェリア。
首都アルジェでイスラム教徒による暴動が起きる。
組織化された地下組織によるもので、周到に練られたものだった。
これに対してフランス人は、貧民街カスバで一般民衆を巻き込む爆破テロを起こした。
「目には目を」でイスラム側も空港等で連続爆破テロを起こした。
フランス軍はマシュー中佐を現地に派遣し、テコ入れを図る。
マシューは地下組織の破壊を目指し、次々と幹部を逮捕していく。

アリという地下組織幹部を通して1954年から1957年までの反乱の様子を描いている。
日本人の感覚からするとまずイスラムの「偉大な目的のために殉死する」異常さが気になる。
日本も自爆テロなら神風特攻隊の本家だが、イスラム自爆テロは別物に思えて仕方がない。
またお互いに報復合戦になるのは、キリスト教とイスラム教の争いに付き物だ。

第一次の蜂起は1957年に終結するが、1960年に再び民衆は立ち上がる。
それに対して軍部が暴走して発砲したことから、フランス世論が動かされ、62年にアルジェリアは独立を獲得する。
アルジェリアは今なお(2004年現在)外務省から渡航に注意するように要請が出ている。

音楽はイタリア風だが、格好良かった。

監督 : ジロ・ポンテコルヴォ
製作 : アントニオ・ムーズ
脚本 : フランコ・ソリナス
撮影 : マルチェロ・ガッティ
音楽 : エンニオ・モリコーネ / ジロ・ポンテコルヴォ
主演: ジャン・マルタン(Il colonnello Mathieu)ヤセフ・サーディ(Saari Kader)ブラヒム・ハジャク(Ali la pointe)

2004.09.01

阿寒に果つ 1975 東宝

渡辺淳一の名作を映画化。
当時流行していた「エマニエル夫人」などのソフトポルノを意識している。

我がいとしのアイドル歌手五十嵐じゅんが女優開眼である。
オールヌード、濡れ場はもちろんのこと、二宮さよ子とのレズシーンもあり、
北海道の大自然の中で写真集のようなカットもふんだんにあり、五十嵐じゅんのあらゆる魅力を爆発させた映画といえよう。

作品は渡辺淳一の実体験にフィクションを交えたものだ。
高校時代、時任純子(映画での役名)という同級生がいた。
天才少女画家だった。絵は暗い感じだった。
性格も奔放で多くの男性と関係を持った。
魅力的な彼女に、渡辺は相手にされなかった。
そんな彼女が大学受験を控えたある日、阿寒湖のほとりで自殺したのだ。

姉との同性愛も実話なのか?
とすると純子は姉を独占したかったのだろう。
姉の恋人大出俊に抱かれたのも、姉への嫉妬でしかなかったと思う。

クレジット・あらすじ

五十嵐じゅんちゃんは永遠に不滅だあああ!!!
実に懐かしかった。
そして実に美しかった。


この映画で、原作と同様の感動を得ようと思っても、スカされるだけである。
あくまでこの作品は五十嵐じゅんちゃんのファンへの最後の贈り物として見るのが正しい。
文芸映画ではなく、アイドルが大人へ脱皮する映画の成功例として見るべきだ。

当時、五十嵐じゅんがこんな映画に出るとは思ってなかったから、大ショックだった。
彼女はもともと六本木族の流れをくんでいるそうで、テレビで見せる愛らしい顔と全く別の顔を持っていた。
その二重生活に苦しんだ末に、この映画でけじめをつけたのだろう。
このあと、五十嵐淳子に芸名を変えている。
そして中村雅俊夫人におさまり、たくさんの子宝に恵まれていることは有名である。
しかし、じゅんちゃんファンにとっては五十嵐淳子は別人だろう。

絵の師匠役に何故か劇団青俳の創始者で演出家福田善之が出ている。
年が全然違うのにも関わらず、福田と五十嵐のラブシーンもあるのだ。
いったい何を考えているのか?
芸術家はみなロリコンか?
ちなみに俳優としての福田の代表作はウルトラマン「地上破壊工作」の福山博士だ。

そういえば、二宮さよ子は「吉原炎上」でも名取裕子とこういうシーンに出ていたなあ。
納得。

監督 : 渡辺邦彦
脚本 : 石森史郎 / 岡田正代
撮影 : 木村大作


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